結婚 夫婦の愛情
愛情の表現について

愛情を表現しよう

「結婚生活において愛が長つづきするには、
小説的であることを要する。つまり、最初の
みずみずしい感動に血や肉を与えることを要
する」
これは、夫婦愛の作家といわれ、夫婦間の
微妙な心の動きを澄んだ目で観察し分析した
ジャックシャルドンヌの「愛をめぐる随想」
の一節です。
含蓄の深いことばだとお思いになりません
か。お互いに愛し合えばこそ結婚し、夫婦生
活に船出する。はるかなる人生航路。単調で
ヘへ
退屈ななぎのつづく日もあれば、ときに波風
の荒い日もある。えてして、くり返しの多い
毎日。そういう旅路で、私たちは、ともすれ
ば生活に血と肉を与えることをおろそかにし
がちではないでしょうか。くふうを怠り、惰
性におちいることはないでしょうか。
「結婚は、。いっさいのものをのみこむ魔物と
絶えず戦わなければならない。その魔物とは
すなわち習慣のことだ」
有名なバルザックはこう指摘しています。
習慣や惰性に流されてしまっては、おしまい
です。
ところが、実際には、テープレコーダー
のような生活を送っている人が案外多い。特
に私たち日本人は小説的生活を送ることに
は、熱意が足らず、また苦手なよ51です。欧
米の夫婦は、ときには人前でも、率直にお互
いの愛情を表現しますが、私たちにはオーバ
ーなように見え、あれをまねするのはテレく
さいと感じます。しかし、他人が見ている場
合はともかくとして、二人の日々の生活に小
説的要素をとり入れることには、もっと関心
をはらうべきです。
ヘヘヘへ
私たちは、感情を表に現わすのははしたな
ヘへへもヘへもへ
いこと、内に押さえるのがおくゆかしいこと
というような生活態度を、長い伝統の中でし
感情を表に現わすのははしたないこと
つけられてきました。たしかに、怒った感情
などはそうすべきでしょう。けれども、こと
夫婦間の愛情についてまでそうすちのはまち
がいです。これからの夫婦は、愛情の豊かな
表現法を学んでほしいと思います。
表現べたな日本入
マッカーサー元帥がトルコを訪問したとき
のこと、夜に入って、閲兵式が行なわれまし
た。ところが式の最中に、故障で電灯が消え、
ついにまっ暗な中で式が終わりました。やが
て迎賓館に入った元帥は、トルコの高官たち03
に「みんなりっぱな兵士たちです」とほめたそ
うです。この場合、もし「さっぱり見分けが
つかなかった」と言ったら、ぶちこわし。こ
れがエチケットというものでしょう。
エチケットということばは、もとは宮廷や
式典場に招かれた人に渡された、動作のしか
たを書いたチケット(通用札)から出たものだ
そうで、つまり社会生活への入場券です。
ところが、これが私たちにはあまり身につい
ていない。街頭やデパートの混雑の中で、は
た迷惑もかまわずにバカていねいにおじぎし
ている淑女。電車や映画館の申で、人を押し
のけて座席をとり、あとから来た上役や恋人
に、いとも親切に譲ってやっている紳士。
しか七、近ごろは若い人たちのために男女
交際のエチケットを説いた書物もいくつか出
るようになりました。そこで、デイトのとき
など、エチケットばかりでなく、、テクニック
電なかなかじょうずな人も現われたようで
す。だが、エチケットや技術は、恋愛中だけ
ではなく、結婚してからも必要なものです。
むしろ、夫婦間のそれこそいっそうたいせつ
です。
ところが、いまさらおかしくてというカ
ップルが日本人には少なくありません。表現
がへたで、一種の表現オンチなのです。
最近、大都市の周辺にはぞくぞく団地族が
出現しました。若奥さまが小さな坊やをだっ
こして、郊外の駅まで夫を見送る光景など見
かけます。「ほら、パパあそこよ。わかる?
行ってらっしゃいつて、おっしゃい」と新妻
は線路の向こう。一方、プラットホームの若」
いご主人は、何だかバツの悪そうな表情をし
ています。周囲の人はほほえましく眺めてい
るのですが、ご本人は「あれがあの細君の亭
主なんだな。道理で鼻の下が長いわい」と見
られているような気でもするのでしょう。ど
うにも、まのもたぬ風情で、やがて電車が来
ると、ちょっとニヤッとした顔をして、乗っ
て行きます

適切な表現法は「夫婦生活への入場券」
あの場合、ハリウッドばりのゼスチュアτ
で乗り込むことはありません②ジェット機で
洋行するわけではなく、たかが会社にお出ま
しになるだけで、夕方にはこ帰館遊ばすので
すから。けれども、もう少しテレないで手を
ヘヘヘへ
ふるとか、何とかかっこうをつけたらよさそ
うに思われますが、いかがでしょうか。適切
な表現法を身につけるということは夫婦生
活への入場券でもあります。どうぞ愛の切
符をいつも手離さないように。


妻は反抗病にかかったのか

どの新聞にも「身の上相談」欄があり、夫
婦のさまざまな危機や破局が訴えられていま
す。しかし、ああなっては実は手遅れですし、
また実際にそれほどこじれた夫婦は、世間に
そう多くはありません。たいていの夫婦は、
互いに愛情はもっているのですが、といって
「では、不満は何一つありませんか」と聞かれ
れば、日常の暮らしの中でささいな不満なら「
いくっかあるーといったところでしょう。
さて、この小さな不満は、ほうっておくと
命とりになることもありますが、これがまた-
ちょっとした表現の不足から生じている場合
が少なくありません。
読売新聞の夫の注文、妻の注文という欄
には、こうした普通の家庭の微妙な食い違い
がよく現われています。
ここではお帰りなさいのたった二首をめ
ぐる表現の問題を考えることにして、実例を
引いてみましょう。


東京都中野区に住む、三十九才の会社員の
嘆き。
「戦後の一傾向でもあるのか、子は親に対
し、妻は夫に対してA反抗病という奇病にと
りつかれている向きが多いように思われる。
理由もなく反抗のために反抗を試み、それを
楽しむかに見える場合が少なくない。、
私の場合、会社から帰宅して電妻はふり向
くだけで、お帰りなさいのことばもかけな
いようになった。オシでもないのに、どうし
て無言なのか納得がいかない。
妻はミシン仕事で、ある程度の収入がある
という自負心からかも知れないが、この冷た
い態度はどうもおもしろくない。遠まわしに
冗談めかして原因をさぐると、なんと驚いた
ことには、帰ったときに家来のようにお出迎
えのことばをかけるのは封建的だというので
ある。でもおまえ、帰ったときぐらいはー
iといったとたん、こんどぱおまえとい
う言い方は、封建的の典型だわと切り返さ
れた。
結局、さわらぬ神にたたりなしと私のほう
から退却したが、すぐ感じたことは流行の反
抗病にかかっているな、ということである。
この病状は、ハシカのように少し時間がたて
ばなおるかとも思われるが、今のところ確信
が持てない。
ともあれ私は、妻よ、やさしぐーと叫
びたい気持でいっぱいだ」(三十五年五月十
六日掲載)
どうやらこの奥さまは、わが家を男女の同
権と平等のための戦場にしておいでのように
見受けられます。しかし、彼女は、ほんとう
に女闘士なのでしょうか。